もくじ
■「断捨離」とは?
『人生を変える断捨離』は言わすと知れた断捨離の元祖「やましたひでこ」氏の2018年に発売された著作です。
断捨離とは、ヨガの断業・捨業・離業の頭文字(?)をとった略号みたいな用語のようです。
断・捨・離の意味合いは正確には理解していませんが、「断」は入ってくるものを断つ、「捨」は自分にふさわしくないものを捨てる、そして「離」はあらゆる執着から離れる、というように勝手に解釈しました。
著者が言う断捨離とは異なる解釈かもしれませんが、私にはこう解釈すると分かりやすかったのです。
そして、断捨離はモノを捨てるスキルではなく、モノを活かして心のモノに限らない全てのものへの執着から自由になるための心の持ち方ということにります。
以下に述べることは、本書から私なりに解釈した理解ですので、本当の断捨離を知りたい方は本書を買って読んでください。
買って後悔はしないと思いますよ。
■断捨離の3つの壁?
いらないものを捨てるには、3つの壁があるのではないでしょうか?
それは「まだ使える」、「もったいない」、そして「いつか役に立つ」と言う3つの壁です。
「まだ使える」とか「もったいない」とかいうのは、「モノ中心軸」であるとか「他人中心軸」であるとかいうことでの「囚(とら)われ」です。
一度も使っていないものでも、全く損傷がなく綺麗なものであれば、普通はポイポイとは捨てられないでしょう。
「まだ使える」というのは、言い換えればモノを大切にする心(「モノ中心軸」)ということかも知れません。
また、もったいないというのもモノを大切にする心であると同時に、社会において親や先生から学習した価値観の反映でしょう。
一般的価値に沿った判断になります。
これが「他人中心軸」ということなのです。
しかし、今の自分が必要でないものを保有して使わないということほど「もったいない」ことはありません。
自分が必要でないものも、他人は必要としているかもしれません。
「自分軸」で判断するなら、自分が必要とせず使っていないものは他人にあげるかリサイクルして他人が使えるようにすることが、「もったいない」をなくすことになりますね。
引き出物としてもらったキレイなお盆などが一例でしょうか。
これはモノ自体として新品に近いという意味合いを持つものです。
これらのものを捨てようとするとき、「まだ使える」とか「もったいない」とかいう心の壁に突き当たります。
メルカリで売ればいいじゃん!と思うかも知れません。
でも、メルカリに登録していたとしても、写真を撮って、説明を書き、売れたという通知がきたら梱包して、その前に梱包材を買いに行かなければならないかも知れません。
その次には、郵便局などに持って行って、発送先の住所を印刷して、貼って、職員さんに処理してもらうのに並んで、etc.etc.
メルカリも結構な手間がかかります。
私なら、この手間を考えるだけで売ろうという気力がなえてしまいます。
このメルカリなどで売るというのも「もったいない」の壁ですね。
先にあげた「キレイなお盆」は、特別なお客さんが来たときに使うなど「いつか役に立つ」かも知れないと考えるかも知れません。
しかし、そのお盆を普段見えないところに収納しておいたのなら、その「いつか使う」ことは永遠にやって来ないのです!
■3つの壁を打ち破る方法
これは本書に書いてある具体的な方法ですが、捨てるもの選択法と言っていいかも知れません。
私流に解釈した原則は、「見える化」と「囚われの解消」ということになるでしょう。
「見える化」とは、持っているモノを全て見えるところに出してみる、あるいは収納しているモノを一目で見える状態にしておくというものです。
見えないものは存在しないものと同じです。
存在しないものは捨てようがありません。
ですから見えないものは捨てられないのです。
ここで本書の著者が推奨しているのは、収納しているものを全て平面に重ねないで一望できるようにすることです。
これから捨てるかどうかを判断するために、整理したいタンスやクローゼットから全てのモノを平面に重ねずにおいて一望できるようにします。
それから、どれを捨てようかと考えるときに、上記の3つの壁に阻まれないような捨てる判断の基準を明確にしておくことが大切です。これが「囚われの解消」ということになります。
「囚われの解消」のための判断の仕方の基準が、「要・適・快」というのだとうのです。
■「要・適・快」とは?
「要」とは、今の自分に「必要か?」という質問を自分にした答えを意味します。
「適」とは、今の自分にそれが「ふさわしいか?」という軸で判断するということです。
「快」とは、それを使うことで自分は「快適になれるか?」「心地よいか?」「使い勝手がいいか?」「使いづらくても自分を鼓舞できるか?」「自分に活力を与えてくれるか?」という判断の仕方です。
私は、ネジ巻き時計を愛用していますが、古い時計でもあり1週間で5分くらい時計が進んでしまいます。自動巻ですが、数日ほど身につけていないと動かなくなってしまいます。性能も利便性もよくありません。
しかし、愛着があって凄くお気に入りの時計なので、つけていると嬉しくなったり、何となくエネルギーをもらえて今日も頑張るぞ!という気分になってくるのです。
こういった「快」となるものは、自分いとっては必要なものであり「要」ということにもなりますし、自分にふさわしい「適」なものともなるのです。「快」は、モノとしての機能性や性能、あるいは自分の立場などにふさわしいかどうかということを超越するものなのです。
私個人は、「要・適・快」のうちでも「快」を最も重視します。
時計で言うならば、680円のおもちゃのようなデジタル時計であろうが、数百万円する高級時計であろうが、それを身につけることで自分の気持ちをインスパイアー(鼓舞する)できるものであるならば、それはステキに心地よいのです。
そうであれば、680円の時計も自分にとってはふさわしいものであり、公式の場にもつけいていくことに躊躇することはありません。
数百万円の時計を持っているわけではないのですが、もしその時計が自分の人生を変えるほどのエネルギーを自分に与えてくれるものであるのならば、数百万円の投資をする可能性は大いにあると考えます。
注)数百万円する時計を買う財力は私は持ちあわせていないことは言うまでもありません。
■「小さな範囲から」というもの大切!
断捨離を成功させる別のポイントの1つは、小さな範囲を1つの単位として、その日はその小さな範囲だけを断捨離するということです。
断捨離の整理のために使える時間は限られています。
休みの日に、起きている10数時間の全てをモノのモノ整理に使うことはできないでしょう。
1日に2〜3時間でできる範囲の断捨離を行うのが実用的ですね。
■時間軸は常に「今」です!
「要・適・快」という判断基準の時間基準は「今」であることが求められます。
具体的に日時が決まっているもの以外の「いつか」は永遠に来ないのです。
「今」必要か?「今」ふさわしいか?「今」心地よいか?という基準で、モノを捨てる捨てないを判断しなければなりません。
「今」の判断を決めなければ、次の判断時期にも先延ばししてしまう可能性が大きいのです。
今の先送りマインドは、将来的にも先送りマインドであることに代わりはないでしょう。
今決めなければ、次はありません!
常に判断は「今」であらねばなりません。
「今」必要か?「今」の自分にふさわしいか?「今」使って心地よいか?
「今」を判断の基準点にすることを忘れてはならないと著者は強調しています。
■モノを少なくすると心も軽くなる!
モノの多さは心の重さです!
不要なモノを断捨離すると、確かにあらる物事への執着が少なくなることは確かなようです。
執着が少なくなると同時に、意欲も湧いてきます。
私も断捨離(実は終活?)を進めていこうと思っています^ – ^