篠原勝之さん逝く

篠原勝之氏(しのはら・かつゆき=美術家)が4月17日、肺炎のため死去された。享年84歳。故人の遺志により、葬儀・告別式は行わないとのことです。(日本経済新聞より)

篠原勝之

「クマ」というあだ名の由来については、若い頃の彼が新宿の飲み屋を頻繁に訪れており、その見た目や人柄がクマのように愛嬌があるとして周囲が呼び始めたのが始まりで、そのあだ名が業界関係者のあいだで噂として広まり、いつしか定着したとのことです(perplexityより)。私にはクマのプーさんのイメージが強いのですが、そのような情報は検索されませんでした。

クマさんは、子供の頃から父親の意向に沿わない行動や言動をするたびに、頻繁に殴られるなどしており、高校卒業と同時に実家のあった北海道から東京へ、父親から逃れるために家出したそうです。それからは実家に帰ることもなく、父親とは長い間、会っていなかったとのことです。

父親の臨終間近に、母親の求めに応じて意識のない父親と対面します。母は逝きゆく父と子の距離をなんとか縮めようと振るまいましたが、クマさんは何ひとつセンチメンタルな気分にはならなかったといいます。

父親はそれを知ってか知らずか、息子が墓参りに来ることはないだろうと、富士山麓の霊園にお墓を購入していたことを、父の死後に母から聞かされたそうです。

父親の火葬後、壺に収まりきれなかった遺骨を、母親は手作りの皮財布に入れてクマさんに手渡しました。「モニュメント作りでモンゴルに行くときに持って行きなさい」と。

クマさんが降り立ったモンゴルに吹く風は、草原すべてを枯らし、春には真新しい草原に生まれ変わらせるのだといいます。

クマさんは、自らのモニュメントの巨大な振り子を揺らす風に、父親の遺骨を託したのです。

クマさんのモニュメントは、道標なのだそうです。モンゴルの大地に築かれたその道標とともに、父親の遺骨は、屑鉄製の道標が朽ち果ててもなお、同じモンゴルの大地にその存在を残し続けることになるのでしょう。

これは、クマさんと父親の——迎合なき和解——ではなかったのでしょうか。

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