モチベーションや使命感、達成感があれば過労死は防げるか?

過労死:Ariv Guptaが撮影した写真

過労死は社会問題として長年取り上げられてきましたが、その原因や対策についてはまだ十分に議論されていないと言えます。最近、26歳の医師が自殺した事件が報道されましたが、その背景には、学会準備などの“自己研鑽”とされる時間外労働があったとされています。このようなケースでは、ストレスは個人の主観によるものであり、強制されたものでないこと、モチベーションを持って自発的に行えていること、喜びもしくは達成感を感じられていること、あるいは強い使命感をもっているという条件があれば過労死には至らない可能性があるという主張がなされることがあります。これは本当に正しいのでしょうか?

まず、ストレスは個人の主観によるものであるというのは、一面的な見方とい見解があります。ストレスは、個人の能力や環境に対する適応の結果として生じる心身の反応ですが、ストレスの原因は、外的な要因から生じる心身の防衛反応です。例えば、労働時間や業務量、人間関係、報酬や評価などの労働条件は、ストレスの重要な要素です。これらの要因は、個人のコントロールの範囲を超えることが多い反面、客観的な指標で測ることができるものもあります。例えば、血圧や心拍数、ホルモンや免疫の変化などは、ストレスの生理的な反応を示します。これらの指標は、個人の意志や主観とは無関係に、ストレスの度合いや危険性を示すものです。しかし、個人の内面に生じるストレスの個人的主観も重要な要素になります。好きなことは何時間やっても苦痛にもならないし疲れもいしないという経験は誰もすることではないでしょうか。しかし、これが何日にもわたって続けば物理的(身体的)影響で大きなストレスとなることは言うまでもありまでん。その人固有の耐えられる時間内であれば、負担と感じないでやっていることは過労死にはつながらないと考えます。要は、過労死は「嫌なことをさせられる」という状況構造×負荷時間が問題となるのです。その人が耐えうるための睡眠時間を確保できるということを担保すれば、ストレスは個人の主観によるものという意見は否定されるべき見解ではなのではないでしょうか。

次に、強制されたものでないこと、モチベーションを持って自発的に行えていること、喜びもしくは達成感を感じられていること、もしくは強い使命感をもっているという条件があれば過労死には至らないというのは、現実的にも説得力のない主張という意見について考えてみます。まず、強制されたものでないというのは、どのように判断するのでしょうか。労働者は、自分の意思で仕事を選び、契約を結び、働くという自由がありますが、それは必ずしも自分の望む条件で働けるということを意味しません。労働市場の状況や経済的な事情、社会的な期待や圧力などによって、労働者は自分の本意ではない仕事や労働条件を受け入れざるを得ないことがあります。また、仕事を始めた後も、労働者は自分の意思で労働時間や業務内容を決めることができるわけではありません。使用者や上司の指示や命令、同僚や患者などの要求や期待、競争や評価などの圧力によって、労働者は自分の能力や健康を超える労働を強いられることがあります。これらの場合、労働者は自分の意志で労働を選択していると言えるのでしょうか。強制されたものでないというのは、労働者が多くの場合得られる条件ではないと言うのが現実でしょう。ですから、強制されたものでないという条件を完全に満たすことのできる労働者はいないと言っていいでしょう。

次に、モチベーションを持って自発的に行えていること、喜びもしくは達成感を感じられていることや強い使命感をもっているということについて考えましょう。過労死の予防になるというのは、根拠のない希望的観測に過ぎないという人がいます。もちろん、仕事に対する情熱や興味、目標や意義、使命感などは、労働者のやる気や満足感を高める要因です。しかし、それだけでは、過労死のリスクを回避できるとは限らないのは確かなことでしょう。仕事に対するモチベーションや喜び、使命感は労働者の心理的な資源ですが、それは無尽蔵にあるものではありません。労働者は、仕事に対するモチベーションや喜びを維持するために、適度な休息やリフレッシュ、バランスや変化などを必要とします。しかし、長時間労働や過重な業務、不規則な勤務などによって、労働者はそのような機会を失うことがあります。その結果、労働者は、仕事に対するモチベーションや喜びを維持することができず、むしろストレスや疲労、不満や不安などのネガティブな感情を抱くようになります。これは、過労死の危険性を高める要因です。したがって、モチベーションや喜びがあれば過労死には至らないというのは、現実を見ない見解と言えるでしょう。ただし、これが著しい出世欲であったり復讐心である場合は、ストレス耐性は相当程度強化されるかも知れません。ストレスは個人の主観によるもののところで述べたように、これにも個人個人の許容限界というものがあります。1日3時間睡眠で120日連続勤務すれば、まず大抵の人が過労死するでしょうから。

以上のことから、「ストレスは個人の主観によるものであり、強制されたものでないこと、モチベーションを持って自発的に行えていること、喜びもしくは達成感を感じられていることもしくは強い使命感をもっているという条件があれば過労死には至らない可能性がある」という主張が、科学的にも現実的にも根拠のないものという意見は、「個人固有の身体的心理的認容限界と現実のストレス状況および睡眠を主とする休息の取得状況の掛け合わせを考慮して考えるべきである」という条件付きで正当性であるということです。なお、過労死は、個人の責任や選択ではなく、社会的な問題であることは重要な事実です。過労死を防ぐためには、労働者の健康や安全を守るための法的な規制や監督、労働時間や業務量の適正な管理や調整、労働条件の改善や公正な評価などの労働環境の改善などの社会的な対策が必要であり、また、労働者自身も、自分の健康や権利を守るために、労働時間や業務内容を適切に申告し、必要に応じて労働基準監督署や労働組合などに相談や申告をすることが大切です。さらに、仕事以外の時間や場所で、自分の興味や趣味、家族や友人などの人間関係などを大切にし、心身のバランスを保つことも重要でしょう。さらに、過労死は、個人の問題ではなく、社会の問題です。過労死を防ぐためには、社会全体で労働者の健康や安全を尊重し、労働環境の改善に努め、過労死のない社会を目指すために、私たちは一人ひとりが、自分の仕事に対する姿勢や意識を見直し、行動を起こすことが求められます。

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